エレミヤ書3章19~25節に学ぶ
礼拝のタイトルは「救いは主にあります」でした。
(この場合は「しゅ」と読みます)
そして、賛美のうちの1曲が新聖歌186番
「来たれよ来たれ」でしたが、この歌の歌詞、
♪来たれよ 来たれ 罪ある人よ
イエス救い主に来たれ~……の「救い主」のほうは
「ぬし」と読みます。
もう1曲歌った新聖歌268番「御国の心地す」では、
♪悲しみ尽きざる 浮世にありても
日々 主と歩めば 御国の心地す
こちらは「しゅとあゆめば」ですね。
隣で未信者(教会は信者ではなくても入れます!)の夫が歌のあとでこっそりと、
“しゅ”と歌うべき所を思いっきり“ぬし”と歌ってしまった(;^_^A)
……と焦っていたのですが、神様はそんなふうにすぐに悔い改めた彼を
お許しくださるでしょう。
思えばいつだったか、次女(この子も未信者です)も
玄関に掲げてある「主の祈り」の額を見て、
『おかあさん、ぬしのいのりって何?』と聞いてきまして、
爆笑してしまったことがあります。
(間違うことは罪ではないのに……)
そんな私のことさえ、主はお許しくださっているはずです。
今回、学んだ箇所は先週に引き続き、
主によるシンプルな悔い改めへの招きです。
『さあさあ、悪いことしてねぇで、わたしのところにお帰りよ~
心の中心に主を据えて、魂のいやしと平和を得なさいよ~
それには、自分の罪をまず認めるんだよ~
そしてわたしのもとへ帰ってきなね~』
♪帰ってこいよ(ベンベンベン)
帰ってこいよ~(ベンベンベン)
帰ってこ~いぃよぉ~~~(なんか世代がわかるBGMだな(;^_^)
※さすがにこの歌を礼拝で歌ったわけではありません。
ホセア6章6節、マタイ9章13節も同時に学びました。
神さまが喜ぶ人生とは、どんな生き方なのか。
先週、「あなたはクリスチャンらしくないね」と
友だちに言われたエピソードを書きました。
聖書には、「健康な人には医者はいらないが、
病人には医者がいります。『わたしはあわれみを好んで、
いけにえを好まない』という旧約聖書の言葉がどういう意味か、
あなたは学ぶ必要がある。わたしは自分で正しいと考えている人を
招こうとして来たのではなく、罪人であることを自覚している人を
招くために来たのです。」
とあります。
人が主によって造られた目的は、
何か立派な業績を残すことや、
富と名誉を多々得ることではなく、
“神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶこと”
(ウエストミンスター小教理問答集)
それを実現したのが、イエスさまなんですね~
生きていく上で、誰もが辛いことや悲しいこと、
やりきれないことと無縁ではいられないけれど、
そんな時にはぜひ、教会へ!
人それぞれに、主が示してくださる道があります。
そして、あなたのために祈ってくれる人が必ずいます。
私の教会にも、来週からしばらくお休みする方がおられます。
病の床にあっても、主が共にいてくださって常にその方を励まし、
強められ、適切な治療を受けられ、癒されることを祈りたいと思います。
良かったらぜひ、ご一緒にお祈りください。