若い彼女のオートバイ生活
念願の250ccバイクを手に入れた19歳の冬。
通学に買い物に、そしてツーリング・・・
デュアルヘッドライトが大好きな猫ちゃんみたいだったので、
“うにゃこ”と名付けて、それはそれは大切に乗っていました。
高校の同級生、K嬢と千本松牧場に向かう途中の初夏の記憶。
キミは良く、バリーシーンが好きだと言っていたね。
二人で走っていた時、隣の車から声をかけられていたから
あとで「ナンパされてたの?」って聞いたら、
「ううん、となりのバイクは彼氏?だって(笑)」
・・・あたしはオナゴじゃけんね(-"-)
(この頃から男前な女子だったんですわ。)
華奢な背中に生まれたかった・・・ぐすん。
北関東の北のはずれですから、そりゃ雪が降ったって挫けません。
とは言え厳密にいうとこの日、下界は晴れ。勢いで峠をゆくのが若気の至りです。
何事もなくこの山を下りてこられ、ホッとした時のことは今でも忘れません。
この時、右のKawasakiは彼女とタンデムだったのですが
オフロードバイクをバンに乗せた練習帰り?のお兄さんが見かねて、
「帰りの山道が本当に危ないから後ろの子は車で乗せてってあげようか?」と
声をかけ山をおろしてくれたのです。これも何年経っても忘れられない感謝の念。
初めてのロングツーリングは千葉。
高速道路は怖くて乗れず、オール一般道で房総最南端へ。
おまけに巷は黄金週間で途中の国道16号が大渋滞。
潮風に吹かれて走った海辺のフラワーロードの突き抜けるような爽快感と、
新鮮な魚介料理には大感激だったのですが、
帰り道、千葉市に突入した頃にはもう左手が腱鞘炎のような激痛で
シフトチェンジができなくなっていました。
仕方なく、ずっとシフトチェンジをせずにローギアのまま路肩を走って帰宅。
なんと、千葉をお昼過ぎに出発して宇都宮市にたどり着いたのは夜中の12時過ぎ。
人も車も少なくなって信号の点滅だけが路面を照らすなか、
低速で路肩を走る2台。(当時の彼氏と私)
あと数キロで我が家というところで路肩の暗闇から棒を持った人影が。
「こんばんは~。どこから?どこへ行くんですか。」
・・・こんな時に、おまわりさんです。
「はい、こっちにバイクを停めて。」
(あぁ・・・やばい。捕まった。)
実はもう時効ですがこの時、彼氏は中型免許しか持っていませんでした。
それなのに「女と同じ排気量なんかに乗れねぇ。」と
私が250ccを買った時、同じ年式のGSX-Rナナハンを買ってしまったのでした。
「そのうち免許取るからさ。それに免許条件違反だから無免許じゃないんだぜ。」
素直に信じていたのは、嫌われたくない乙女心でもありました。
彼氏はさほど疲れもなかったのか、サッとバイクを下りましたが
私はバイクのスタンドを出して下りようとしたところで
猫背の形のまま、地べたに転がり落ちました。
もう立ち上がる元気もなく、びっくりして駆け寄ったおまわりさんに
「・・・初めてのツーリングで千葉から走ってきたんですけど・・・
左手が痛くて・・・やっとここまで来て・・・これから○○町の自宅に帰ります。」
と説明してバイクにすがりついて荷物の中から免許を出そうとしたとき、
「いいよ、いいよ!!免許は持ってるんだよね?お酒も飲んでないでしょう?
もう少しだから気を付けて帰りなさい。」
彼氏が光の速さでエンジンをかけて走りだしたことと(笑)
この時のおまわりさんの優しさは忘れることができません。
この事がきっかけだったのか、
彼氏は自動二輪車限定解除(大型二輪免許)の試験を受けるため仕事を辞めました。
当時は教習所で取得できるバイクの免許は“中型二輪に限る”という限定免許。
この限定を“解除”してもらうには、平日に免許センターで試験を受けなければなりませんでした。
彼氏・・・「いま取らなければ、年をとったら無理だから。」
私・・・「それじゃわたしも一緒に試験受けに行く。」
彼氏・・・「そうか。そんなら俺が金出してやる。」
たしか、一回試験を受けるのに必要な印紙代が2300円だったと記憶しています。
この翌年に別れてしまったけれど、4歳年上だった彼は優しくて太っ腹な人でした。
こうして、250ccに乗り始めて1年で無謀にも限定解除を目指すことに。
そして彼氏は10回目、私は15回目の試験にて無事限定解除。
試験車両は乗り味が大嫌いだったシャフトドライブのCBX750ホライゾン。
平成元年2月20日のことでした。