猫。どうしてそんなに気ままなの?
オギャ~と生まれた時にはもう傍らに猫がいました。
(証拠写真が残っています。)
小学校1年生になる歳に、秋田犬の「チコ」がやってきました。
(私が17歳の秋、虹の橋のふもとに行ってしまいましたが。)
弟が小学生になると、数種類のヘビやお腹の赤いイモリ、
カブトやクワガタは蛹から、時にアロワナやピラニアとも一緒に暮らしていました。
(弟は今でも爬虫類が好きだと思いますが、
むかし寒さでグリーンイグアナを儚くしてからは愛犬家に落ち着いています。)
「周りがみんな人間ばかりのなかで生活しているのは、不自然なこと。
動物学的には1種類だけで成り立っている世界は考えられない。
人間の中にいたら人間のことはよくわからなくなる。
人間とは違う種類の動物がいてこそ、動物という自然と触れ合ってこそ、
人間を感じられるのだ。それは人が人であるために不可欠なことだ。
動物と心を通わすことは、自然を理解することなのだ。」
(元上野動物園長 中川志郎)
親になってみてわかりますが、子どもに「動物が欲しい。飼いたい。」と言われて
それをサポートするのは大変なことだったと思うのです。
まして我が家は、同居していた父方の祖母(母にとって姑)が
動物が大嫌いでなおかつ、潔癖症といえるほどきれい好きでした。
嫁である母が、姑に気兼ねせずに動物を飼えたはずがありません。
それでも、幼い頃から動物と暮らしてきたお蔭で
自分よりも小さい、か弱い存在を可愛がるということ、
(熱を出した猫の額に濡れたハンカチをのせて母に「ありがた迷惑だ!」と
叱られたり。)
本気になったら、時には動物の方が強いんだということ、
(飼い猫をしつこく弄って、顔中バリバリに縦線がついたことも。)
身を持って知ることができました。
「学校に捨てられていてかわいそうだったから。」と拾ってきた猫を
飼ってもらえる家で育ったことは幸せなことだったんだな、
と今になってしみじみと感じています。
そんな私ですし、その私が育てた子どもたちに囲まれて
我が家で暮らす猫たちは本当に気ままちゃん。
ある朝などは、雑煮を食べる長男の上で猫が延々と親子ゲンカ。
振り払うこともせず、食事を続ける長男。
フィルター付の自動給水機があるというのに、
無理無理こんなふうにして飲む水が美味いのか?
(このコップ漂白しなくちゃね。)
もふもふ父さんよ・・・そこはTVの音がやかましかろ?
電磁波も出てるし、お炬燵にでも入ったらどうなんだい?
そんなこんなで、今日も我が家の猫たちは勝手気ままに過ごしています。
炬燵の中でアツアツに焦げそうになると、
突然ズバッ!!っと飛び出してきて、板の間にバタン!!と倒れては
ノビノビ~っとお腹を冷やす姿につい、たまらず自分も寄り添ってしまいます。
飼い主の私ももれなく、気ままです。